Oceania Football Challenge

オセアニアで活躍する日本人選手を応援

選手インタビュー⚽️脇野隼人⚽️

f:id:oceania_football:20200421154702j:image脇野隼斗

生年月日: 1993年4月10日
身長/体重: 169cm/75kg
ポジション: ウインガー
主な所属クラブ:
サウスランド・ユナイテッド(ニュージーランド2部)
ホークスベイ・ユナイテッド(ニュージーランド1部)
サザン・ユナイテッド(ニュージーランド1部)

体格の大きな外国人選手にも当たり負けしない強靭な肉体と、切れ味鋭いドリブルを武器にサイドを切り裂くアタッカー。
オーストラリア、リトアニア、ドイツ、フィンランド、コソボ、ニュージーランド、モンゴル、ネパールなど海外でのプレー経験も豊富。

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ニュージーランド1部リーグで2シーズンを戦い、現在も世界を渡り歩く脇野さんにインタビューを行いました。

ーー色々な国でプレーされてきた脇野さんですが、ニュージーランドでプレーする事を決めた一番の理由を教えて下さい。

将来のことを考え、英語のスキルをもっと上げたいと以前から思っていたこともあり、英語圏でのプレーを希望していました。
その際にニュージーランド・ウィンターリーグ(2部リーグ)のクラブからオファーを頂き、移籍する事を決めました。

 

ーーウィンターリーグではチームの中心選手として活躍されていましたが、外国人助っ人としてチームからの期待や重圧などはありましたか?

そうですね、ウィンターリーグにしてはとても良い条件でダイレクトサインにて契約したので、チームからはかなりの重圧がありました。

チームのレベルは、正直高くはなかったですが、天然芝のピッチが2面、人工芝のピッチが1面あり、環境面に関してはウィンターリーグの中ではとても充実していました。f:id:oceania_football:20200421155702j:image

街からも注目して頂き、期待もされていただけにチームとしてなかなか思う結果を残すことができなかったことがとても残念です。f:id:oceania_football:20200421160034j:image


ーーそこからナショナルリーグ(1部リーグ)のホークスベイユナイテッドへと見事にステップアップをされましたが、トップリーグへの移籍を振り返っていかがですか?

実はナショナルリーグのサザンユナイテッドからもオファーを頂き、最初はそちらのチームと契約をしていたんです。
チームにも合流していたのですが、シーズン開幕3週間前にいきなりクビを通告され、慌てて知人にホークスベイを紹介してもらい、2週間のトライアルを経てなんとか契約を勝ち取ることが出来ました。
正直、サザンユナイテッドをクビになった時はもう終わったと思いましたが、諦めなかった事がナショナルリーグの舞台へと繋がったと思います。f:id:oceania_football:20200421160139j:image
当時のホークスベイには昨年のクラブワールドカップに出場された松本光平さんもいたので、とても心強かったです。
プレー面だけでなく、ピッチ外でも全て助けて頂き、本当に感謝しかないです。
光平さんがいなかったらシーズンを通して最後までプレーする事は難しかったと思います。

 

ーー脇野さんはニュージーランド1部リーグにおいて、2シーズン以上プレーした数少ない日本人選手の一人ですが、
1部リーグで日本人選手がぶつかる『2年目の壁』を見事に乗り越えて、南島のサザンユナイテッドと契約を勝ち取った時の気持ちを教えて下さい。

気持ち的には昨年よりも絶対に結果を出すという意気込みの方が強かったです。

チームへの合流がリーグの後期からだったこともあり、残された試合数も少なかったので、よりいっそう結果にこだわりましたが、残念ながらあまり試合に絡むことは出来なかったです。f:id:oceania_football:20200421155224j:image

個人的に、南島は自然豊かで、人が親切で、将来ここに移住したいと思うくらい自分にとってベストの場所でした。f:id:oceania_football:20200421160237j:image

ーー海外でプレーを続けていく上で、日頃から意識して取り組んでいる事などはありますか?

まずはチームに馴染むことを積極的に行っています。
英語はもちろん、それ以外の国なら現地の言葉を覚えたり、チームメイトとのコミュニケーションを大切にしています。

あとは日頃から身体のケアなどもしっかりと行っています。
国によっても違いますが、日本みたいにいつでもマッサージを受けれたり、トレーナーがケアをしてくれたりといった環境が整っていない場所も沢山あるので、セルフケアを意識して取り組んでます。

 

ーー最後に、今後の目標を教えて下さい。

コロナウイルスの影響もあり、現在は海外に渡航ができない状態なので、日本でコンディションを自己管理しています。

先が見えない状態ですが、今やれることをしっかりとして、次に向けて準備をし続けます。

国際大会に出場することが今後の一番の目標なので、AFCチャンピオンズリーグやAFCカップなどの国際大会に出場するチームに入団できるように今後も頑張りたいと思います。f:id:oceania_football:20200421160633j:image

 

選手インタビュー⚽️田島翔⚽️

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田島翔

生年月日: 1983年4月7日
身長/体重: 168cm/62kg
ポジション: ミッドフィルダー
主な所属クラブ: オークランド・シティーFC(ニュージーランド1部)

Jリーグでのプレー経験を持つなど、確かな実力で世界を渡り歩く『さすらいのフットボーラー』
ニュージーランド時代は名門オークランドシティーFCにも在籍。
その他にもシンガポール、スペイン、アメリカ、韓国などでプレーし、アメリカのマイアミ・ユナイテッド在籍時には元ブラジル代表のアドリアーノと共にプレーした。

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37歳になった現在も第一線で活躍を続ける田島さんにインタビューを行いました。

ーー色々な国での経験が豊富な田島さんですが、その中でもニュージーランドでの暮らしはいかがでしたか?

とても住みやすく、のんびりと落ち着いた国でした。
治安も良く、日本人も多くて心強かった印象があります。


ーー海外で結果を出し続ける為に、日頃から意識して取り組まれていることはありますか?

まずは準備です。日本人は真面目で勤勉なイメージですので、練習や試合に取り組む準備や姿勢が大切だと思います。


一方で日本人が苦手なコミュニケーション。
積極的にコミュニケーションを取る事も大切です。f:id:oceania_football:20200414084759j:image


ーー今までに多くの国でプレーされてきましたが、移籍の際はどのようにチームを決めているのでしょうか?

自分にとって、魅力的なクラブかどうかで興味を持ち、選手としての評価を大前提に、選手以外の部分でもクラブの発展に何ができるか、クラブは協力的かなどを代理人をつけず自ら売り込み、交渉します。f:id:oceania_football:20200414085101j:image


ーーニュージーランドでは、クラブワールドカップで世界3位にも輝いた名門オークランドシティーFCでプレーされていましたが、当時のレベルや環境はいかがでしたか?

様々な国の選手がいたり、レベルも高い印象を受けました。
クラブのスタジアムもありますし、練習場所が転々とする事もありましたが、不自由に感じた事はなかったです。f:id:oceania_football:20200414083357j:image
海外と比べると、日本のJリーグの環境はチーム専用のクラブハウスがあり、シャワーがあり、スタッフが練習着なども洗濯してくれて幸せすぎますね。


ーーニュージーランドサッカーに対する印象を教えて下さい。

オークランドシティーFCはスペイン人監督だった事もあり、ボールも人も動くサッカーでした。
ボールを動かすテンポを大切にしていたように思います。
ただ、他のクラブは蹴って走るサッカーが多いのも事実ですし、やはりラグビー大国という事もありフィジカルは強いです。f:id:oceania_football:20200414094627j:image

 

ーー日本ではJリーグで活躍し、海外でも長年プロとして活躍してきた田島さんですが、今後に向けて更なる目標はありますか?

今年から地元(北海道)でプレーしますが、地元をサッカーで盛り上げたいと思います。
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将来的にはこれまでの経験を生かし、海外クラブで仕事をしたいと考えていて、英語の勉強はもちろん、海外サッカーの情報、マーケティング、積極的に色々な企業とコネクションも作り、将来に向けて準備しています。


ーー最後に、これから田島さんのように海外挑戦を夢見る日本人選手にメッセージをお願いします。

海外では日本の常識が非常識と思われる事もありますし、日本人の良さを持ちながらも、その国の文化や人々に馴れ親しむ事が大切だと思います。
自身の置かれた環境や時間が許される限り、諦めずに挑戦してほしいと思います!f:id:oceania_football:20200414093957j:image

選手インタビュー⚽️中村風太⚽️

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中村風太

生年月日: 1991年9月22日
身長/体重: 182cm/78kg
ポジション: フォワード
主な所属クラブ: カンタベリーユナイテッド(ニュージーランド1部)

ニュージーランドナショナルリーグにおいて、日本人で初めて背番号10番を背負いプレーした選手。
リーグ戦全試合に出場しチームのプレーオフ進出に大きく貢献した。

ニュージーランド以外ではオーストラリア、カンボジア、インドのクラブにも在籍。
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国際経験が豊富な中村さんにインタビューを行いました。

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ーー色々な国での経験が豊富な中村さんですが、その中でもニュージーランドでの暮らしはいかがでしたか?
今まで訪れた国の中で一番楽しかったです。
チームメートだけに限らずスタッフやスポンサーなど全員が仲が良く、ファミリーのような感じでした。
街並みも綺麗で、電車はありませんが、車がありましたし、適度な大きさの街なのでどこにでも行きやすく、必要最低限なものは揃っていて暮らしやすかったです。

ウォームアップの先導を任されたり、ミーティングでも意見を求めれたり、食事の時に食前の祈りの言葉を言わされたり、自分のことを1人の外国人として扱ってくれなかったので大変でしたが嬉しかったです。

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チームに日本人選手やスタッフもいなく他の選手と一緒に住んでいたので日本語を一切使うことなく実用的な英語が伸びたと感じることもできたので良かったです。
おかげで滞在最後の方は一人で小学校に行き、体育の課外授業として先生に変わって子供たちに授業ができるようになりました。


ーー日本人として初めて10番を背負いプレーしましたが、プレッシャーなどはありませんでしたか?
このインタビューで初めて自分が日本人初の10番だった事を知りました。
特にプレッシャーなどはありませんでしたが、プレシーズンで毎試合点を取っていたのに、リーグが開幕してから2ヶ月以上点が取れなかったのでそっちの方が精神的に大変でした。

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ーー日本人が活躍するのが難しいと言われているフォワードというポジションで期待以上の活躍をされた中村選手ですが、フィジカルの強いニュージーランドでやりづらさなどは感じましたか?
フィジカルの部分はオーストラリアでも似たような感じだったので難しさはありませんでした。
フィジカルコンタクトが必要な場面でもタイミングをずらすなどして相手に100%で当られないように工夫することは心がけていました。
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また、比較的ニュージーランドの審判は日本人に甘くて、ファールをとってくれるような気がします。
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ーー現在はどこで何をされていますか?
今はサッカーに区切りをつけて日本で過ごしています。
ヨーロッパ旅行にむけて仕事をしたり、人に会ったり、英語の勉強などをしながら次にやりたいことを探しています。

 

ーー最後に、今後の目標を聞かせて下さい。
自分がこれまで色んな人に助けられてチャンスを頂いてきたので、分野は問わず人に機会を与えられるような存在になりたいです。

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選手インタビュー⚽️大塚裕貴⚽️

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大塚裕貴

生年月日: 1993年5月20日
身長/体重: 171cm/65kg
ポジション: 両サイドハーフ
主な所属クラブ:
バーケンヘッド(ニュージーランド2部)
ワイタケレ・ユナイテッド(ニュージーランド1部)
マランパ・リバイバーズ(バヌアツ:オセアニアチャンピオンズリーグ)


ニュージーランド2部リーグから海外でのキャリアをスタートさせ、オセアニアチャンピオンズリーグ出場まで上り詰めた。

現在は日本の大学でコーチをしながら、社会人チームでプレーも続けている。

f:id:oceania_football:20200323202418j:imageニュージーランド2部リーグ→ニュージーランド1部リーグ→オセアニアチャンピオンズリーグと着実にステップアップし、結果を出し続けた大塚さんにインタビューを行いました。
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ーーニュージーランドを中心にオセアニアで活躍された大塚さんですが、当時の生活はどうでしたか。

ニュージーランドでの生活はとても楽しかったです。
最初は、初の海外生活だったので日々緊張の中で生活していましたが、
僕が関わったニュージーランドの人たちはとても暖かく、親切だったのですぐに慣れました。自然が好きでのんびりと暮らしたい人にはニュージーランドはおすすめです。
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ーークラブワールドカップにも出場経験のあるニュージーランドの名門ワイタケレ・ユナイテッドでもプレーされていましたが、チームのレベルや環境などはいかがでしたか。

身体が大きいのでフィジカル面や競り合いはニュージーランド人は強いなという印象がありますが、
技術、戦術などは日本の方がレベルは高いと思います。
ワイタケレでプレーしていて1番感じたのは、ここの選手達はやらなきゃいけない時(本番)に強いなと思いました。
日本人は練習は上手いと海外の選手がよく言うのを聞きますが、海外の選手は逆で練習ではそうでもないが試合では球際も強いですし、闘えるという印象でした。
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ーーワイタケレで活躍された後に、バヌアツのマランパ・リバイバーズに移籍し、オセアニアチャンピオンズリーグにも出場するという偉業を成し遂げられましたが、どのような経緯でバヌアツへ移籍されたのでしょうか?

ニュージーランドに行った一番の理由はクラブワールドカップに出る為でした。
しかし、クラブワールドカップ常連のオークランドシティーFCには入れず、ワイタケレではビザもなく、もうニュージーランドでプレー出来ない状況で、
当時ワイタケレに所属していた松本光平選手がオセアニアチャンピオンズリーグ出場のためにバヌアツへ移籍するタイミングでして「俺と一緒にオセアニアチャンピオンズリーグに出ないか?」と誘って頂き、チームにも交渉してもらって、バヌアツからクラブワールドカップを目指してマランパ・リバイバーズに移籍する事になりました。

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ーーオセアニアチャンピオンズリーグ終了後にJリーグのテストも受けられたそうですが、手応えなどはどうでしたか

契約は出来ませんでしたが手応えはありました。
自分のプレーもしっかり出せたと思っています。
しかし、それと同時にサッカーの厳しさを改めて実感しましたし、Jリーグのチームに入ってプレーする事は本当に凄い事なんだなと思いました。

 

ーー最後に今後の目標を教えて下さい

現在、僕が携わっていいる大学リーグ、社会人リーグ共にチームを昇格させる事が今の目標です。

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選手インタビュー⚽️後藤憧⚽️

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後藤憧

生年月日: 1988年12月31日
身長/体重: 177cm/ 73kg
ポジション: トップ下 / ボランチ / サイドハーフ / サイドバック
主な所属クラブ:
ネイピアシティー・ローヴァーズ(ニュージーランド2部)
ホークスベイ・ユナイテッド(ニュージーランド1部)

日本人選手にとって、1年以上プレーする事が難しいと言われているニュージーランドナショナルリーグで2シーズン目を戦う海外経験が豊富なベテラン選手。f:id:oceania_football:20200324111323j:image

昨年のChatham Cup決勝戦ではMVPを獲得するなど、ニュージーランドで活躍を続けている後藤さんにインタビューを行いました。

ーー今までに数多くの国でプレーされてきた後藤さんですが、これまでに行った主な国を教えて下さい。

実際に契約してプレーをしたのはラトビア、カナダ、ニュージーランドです。


ーー今までの海外生活で一番大変だった事は何ですか? 

初めての海外生活だったラトビアです。
英語圏ではない国で、こちらもまだ未熟な語学で、コミニューケーションがスムーズにいかない。若い人は英語を話すけれど、一般の人はラトビア語やロシア語が公用語でした。
提供された家ではシャワールームの排水不備や洗濯機の故障などがそのまま放置されるなどのメンテナンス不備だったり、日本での当たり前がここでは当たり前ではないのだと初めての不便さを体験しました。f:id:oceania_football:20200323202732j:image
その中でも一番辛かったことは『歯』です。
渡航前にチェックしていたにも関わらず、虫歯を悪化させてしまいました。
かと言って、現地での治療も不安。ものを噛めない状況が続き、かなり辛い思いをしました。歯は大切です。


ーーカナダプレミアリーグでプレーするという選択肢があったにも関わらず、ニュージーランドに来る事を選んだ理由を教えて下さい。

カナダ(ハイランダーズ)に戻り、プレミアリーグを目指す選択肢はあったものの、プロリーグでプレーをしたいという夢があり、サッカー人気で盛り上がっているタイにチャレンジしました。
いくつかのチームでトライアルを受けて、2チームと実際にサインしたものの、チーム状況がどちらとも変わり、期間中に登録することが出来ませんでした。 
一旦帰国していたところ、カナダのチームのコーチが連絡をくれて、ネイピアのチームが契約したいと言ってくれてるという話しを聞き、運命だと思いすぐにニュージーランドに行きました。
信頼している人からの紹介だったこと、自分を必要としてくれるということが決め手でした。
カナダのチームよりも好条件だったのもあります。
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ーー昨年のChatham Cup決勝戦でのスーパーゴールとMVP受賞。あの試合を振り返っていかがですか?

最高でした。ネイピアでの2シーズン目で、チーム関係者、コーチやチームメイトとも信頼関係が生まれていて、良い関係が築けていました。そして多くのサポーターがネイピアからオークランドまで応援に駆けつけてくれていたなか、歴史あるニュージーランドのカップ戦を17年振りに優勝することができ、とても嬉しかったです。
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実は3試合前くらいまで、脚に故障を抱えていたため、100%のプレーができていない状況でもどかしさもあり、やっと決勝で貢献できたという思いでした。
試合後の生中継でのインタビューでは、ネイピアの自宅で中継を観戦していたニュージーランド人のホスト女性に向けて、日頃の感謝の意味を込めて、思わずその人と愛犬の名前を叫んでいました‥(笑)。
ちょうど、旅行で日本から来ていた母の前で優勝することもでき「できすぎた脚本のよう」と喜んでくれました。
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ーー外国人枠の制限などもあり、よほどの結果を出さないと定着する事が難しいと言われているニュージーランドナショナルリーグで2シーズン目を過ごされている後藤さんですが、結果を出し続ける為に、何か日頃から意識されている事はありますか?

チームの勝利に貢献するためには、監督・チームの方針を理解し自分に落とし込むこと。特に日本人選手に求められているもの(例えば、献身的なプレー、複数のポジションをこなせる器用さなど)があると思います。
チームメイトやチームスタッフとの繋がりを大切にすること、身体的だけでなく、心の準備も怠らないことなどを意識しています。f:id:oceania_football:20200323152459j:image

 

ーー最後に、後藤さんのようにこれから海外でプレーする事を夢見る日本人選手にメッセージをお願いします。

自分の場合は、大学を出てプロの道を掴み損ね、そのあとの社会人リーグでの貴重な経験を経て、海外へ飛び出たのですが、人としての成長を意識するようになったのは、海外に出てからのように思います。
特に、カナダやニュージーランドに来て出会った選手の中には、イングランドプレミアリーグでの経験者や、上昇意識の強い南米の選手など、様々な国の経験豊富な選手もいます。彼らから、プロ意識や、ぶれない目標、やってきたことに裏付けされた自分を信じる力など、学ぶことが多いです。
ホークスベイ・ユナイテッドでの2シーズン目は、新型コロナウィルス(COVID-19)のため、残り2試合を残してシーズンが中止となってしまい、チーム成績も不本意な結果のまま終了していましました。
今は延期となっているウィンターリーグ開幕を待ちながらネイピアでトレーニングをしています。
このような状況ですので、さらに感じるのは、どの環境であっても選手としてサッカーができることはかけがえのないことだと思います。
それは日本のチームであっても同様のことではないでしょうか。
今の環境で仲間や家族を含め支えてくれる人たちと喜びを分かちあい、人としても成長していきたいと思います。
サッカー人生途上の皆さんも共に頑張りましょう。
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選手インタビュー⚽️岩田卓也⚽️

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岩田卓也

生年月日: 1983年4月22日
身長/体重: 174cm/70kg
ポジション: 左サイドバック
主な所属クラブ: オークランドシティFC

クラブワールドカップ日本人最多出場記録を持つレジェンド。
ニュージーランドで最も成功した日本人の一人と言っても過言ではない。
2013年より名門オークランドシティFCで活躍し、2019年に現役を引退。
現在はオークランドシティFCのマーケティング部でチームスタッフとして活動している。

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ニュージーランドサッカーの開拓者でもある岩田さんにインタビューを行いました。

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ーーまずは現在生活お疲れ様でした。
ニュージーランドの名門オークランドシティFCで過ごした8年間は岩田さんにとってどのようなものでしたか。

選手として過ごした日々は、かけがえのないものでした。
クラブワールドカップに出場できたのも大きな経験ですが、サッカーを通して色々な経験をさせてもらい、選手としても人としても成長させてもらえたんじゃないかと思います。
日本では感じれなかったようなことを、たくさん体感しました。
サッカーを始めた頃のように、純粋にサッカーを楽しむことができました。
苦しいこともたくさんあったけれど、ここで僕の人生が大きく変わりました。

 

ーークラブワールドカップに日本人最多の6度も出場された岩田さんですが、現役生活で最も印象に残っている試合はどれですか。

クラブワールドカップに出場しては初戦敗退を繰り返していたので、決していい思い出ばかりではありませんでした。やるからには勝ちたいと思うのが当たり前なので。
そういった部分では2014年のモロッコ大会で世界3位になれた時は、最高に嬉しかったです。
でも、一番印象に残っているのは日本代表との練習試合です。
自国の代表と、海外チームに在籍しながら戦えるのは不思議な気分でした。
それもクラブワールドカップで世界3位になったすぐ後だったので、いい試合ができるかなと思っていたところ、自分を含めチーム全体で世界を改めて感じることができた試合だったので印象に残っています。

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ーー現在はオークランドシティFCのチームスタッフとして働かれていますが、現役への未練や復帰の可能性などはありませんか。

やり切ったり、満足して引退する選手はいないと思います。
どんないいプレーができた試合でも100%満足できないのと同じように、未練なく引退できる選手は少ないと思います。
僕もその一人で、チームメイトが練習している姿を見ると、もう一度、全力で戦いたいという気持ちが込み上げてきます。
僕はサッカーが好きというよりは、サッカーをプレーするのが大好きなので、なおさら見ているだけの立場は苦しさもあり、チームのために一歩引いたところで頑張りたい気持ちと、自分もまたプレーしたいという気持ちがぶつかり合っています。
僕自身では、まだできる!自分ならもっとこんなプレーをする!など、現役復帰をイメージして日々過ごしています。

 

ーー多くの人がクラブワールドカップで岩田さんがプレーする姿をもう一度観たいと思っています。
今後の目標を聞かせて下さい。

ニュージーランドに来た当初の目的はクラブワールドカップに出るチームに入るためでした。
当時は疑うことなく、絶対に出てみせると必死でしたが、今思うとクラブワールドカップに出るなんて夢のような話ですし、それが6度も経験することができるなんて、夢にも思わなかったです。
でも、2014年の大会を除いて5大会は初戦敗退。もう一度クラブワールドカップに出て結果を残したいという思いは強いです。僕はあのピッチを忘れることができません。
まずは現役復帰をすることが第一歩になりますが、これからもクラブワールドカップに出るために今まで以上に挑戦を続けたいと思います。
これまでよりもさらに険しい道のりになることは間違いないです。でも挑戦を続けたいです。

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ーーこれからニュージーランドや海外に挑戦する選手達へのメッセージはありますか。

海外には見たことのない世界が広がっています。
日本の常識が通用しないことも多くあります。
そこで自分で観察し、考えて実行していく。そこからサッカー選手としてはもちろん人としても成長できる機会が多くあります。もちろん上を目指す強い気持ちは大切ですが、それだけではないのが世界です。
実は僕は日本で苦しい思いをして海外に出ました。そこでサッカーの楽しさを再確認し、のびのびとプレーすることができるようになりましたし、27歳から上手くなった気がします。どうせ諦めるなら、海外に挑戦してからでも遅くないです。
挑戦することによって得られるものがたくさんあります。
簡単な決断ではないけれど、まずは行動してみてください。
どこかで必ず誰かが助けてくれます。
そんな出会いも多くあります。サッカーの可能性は無限大です。諦める勇気があるなら、まずは挑戦してください。

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オセアニアで活躍する日本人選手を応援

オセアニアで活躍する日本人選手を応援

 

ニュージーランドを中心に、オセアニアサッカー連盟加盟国で活躍する日本人選手を応援しています。

 

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